東大寺法華堂
- 東大寺の法華堂(三月堂)にある不空羂索観音菩薩像は奈良時代を代表する仏像
- 仏教の世界では、神様も悩む。ただ人間より悩むことが少ないだけ
- 東大寺を作ったのは大工じゃなくて、造東大寺司という専門の工事集団
- 神様の像も"仏像"と呼ぶ
画像の出典は"平岡定海『東大寺辞典』1980,東京堂出版"。(http://www.tabiken.com/history/doc/M/M383L100.HTM経由)
前説
- 美術史の世界では、奈良時代の後半を天平時代と呼ぶ
- 首都が奈良に移った710年から京都に移る790年ごろまで続く
- この時代、日本の美術はひとつのピークを迎える。ただし、下半身の造形はまだ未熟
- 薬師寺 東院堂・本堂や法隆寺五重塔 塔本塑像が代表的
- 塑像は仏像の作り方のひとつ。粘土でつくった仏像
- 木彫像や金銅仏はお金がかかる。でも大量生産できる塑像は安く作ることができ庶民も仏像をもつことができるようになった
- この時代、塑像が流行した。でも、この時代以降はあまり作られなくなった
- もとは、木の少ない中央アジアでよく作られていた。それが、日本にも入ってきた
- 日本には木仏が多い。これは、仏教伝来以前の民俗宗教の影響が多い。(例:御神木)
- ほかにも、アジア世界には石仏が多い
- ほかにも乾漆仏というものがある
東大寺法華堂
- 建物・仏像ともに天平時代のもの
- 仏像は須弥壇のうえに安置されている
- 須弥壇は須弥山をモチーフにした壇。須弥(semuru)山とは、仏さまの世界に通じていると言われる高い山
- 安置されている仏像は不空羂索観音菩薩像
- 不空羂索観音菩薩像の後ろに秘仏、執金剛神像が隠されている
- 不空羂索観音が安置されているのは、聖武天皇の奥さんの信仰に関係しているらしい
- 不空羂索観音の横に月光菩薩・日光菩薩が安置されている
- そのさらに横には、梵天・帝釈天がいる
- そのさらに横には、金剛力士像がいる
- そして、法華堂の四隅には四天王がいる
- 東大寺を作ったのは造東大寺司という専門の工事集団
- 当然、国から給料が支給されていた